早いもので、3.11から5年目の春を迎えます。
あの日は会議に向かう車のラジオで東北地方に地震があったことを知りました。
本当の被害を知ったのは家へ帰ってテレビを見てからでした。
すぐ八戸の親戚に電話をすると無事ということでしたが、その後、電話は1週間、全く通じま
せんでした。
3月末の退職後、何かできないだろうかと4月3日に宮古市の市役所に行きましたが、
1Fは津波に洗われたまま、2Fは大勢の人がドタドタとあわただしく行き来していました。
港町から鍬ケ先が被害が大きく、道路に大型船が乗り上げたり、
宮古漁協の2階には漁船が頭を突っ込んでいました。
宮古では何もできず、北へ向かいました。
1昨年、同じ場所に行きましたが、ガレキ類はきれいに片づけられ、
住宅跡は更地になっていました。
心の復興はまだまだ先のことだと思いますが、それにしても深刻なのは福島です。
廃炉作業は見通しがつかず、除染廃棄物は東京ドームの18個分ということで放置されたまま
です。
日本は一日も早く原発をゼロにし、自然エネルギーの拡大を図るべきだと思います。