農園ブログ

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2011/11
06

「奥穂高岳・涸沢岳」
名山旅歩記

10月9日

14:30
美作IC発。3枚のETCカードで通勤割引サービスを利用し、高山経由で沢渡に向かう。ナビでは沢渡到着時間が21時30分になっていたが、西宮手前の事故と3連休の渋滞で沢渡に着いたのは23時が過ぎていた。さらに悪いことに寝酒のビールと弁当を買おうと思っていたコンビニが、平湯にも沢渡にもなかった。あきらめきれず15km先の乗鞍高原まで車を走らせたがなかった。沢渡駐車場に戻り、車中泊。

10月10日(沢渡→上高地→明神→徳沢→横尾→本谷橋)

05:00
起床。外気温4℃。
05:30
沢渡大橋からの始発バスで上高地へ向かう。料金は往復で2,000円(タクシーは4,300円)。30分で上高地到着。まず昨夜、手に入らなかった食料を調達。ここは朝早くから店が開いており、パン類、ぶたまん、フランクフルト、稲荷ずし・・・何でもあった。豚汁とむすびで腹ごしらえをする。登山計画を記入し、6時30分、穂高に向かう。
明神までは左手に前穂を臨みながら、白樺やブナが続く林の中の梓川沿いの平らな道。3連休最終日ということですごい人。まるで遠足の列のよう。熟年者も多いが、若い山ガール、山ボーイがやたら多い。明らかに他の山とは違う。
07:15
明神。
08:15
徳沢と順調に標準タイムで歩く。左手には朝日に照らされた屏風岩が大きくそびえている。
09:15
横尾山荘着。トイレも長い行列。昨夜、涸沢でキャンプをした人の話では1000張りものテントが並んだそうだ。道を左折し、横尾大橋を渡り、涸沢に向かう。
本谷橋までは歩きやすいブナやシラビソの林の道。北穂が姿を見せる。シャッターチャンスの連続で、ザックからのカメラの出し入れで時間をとられる。
11:15
大きく視野が開け、本谷橋。ここもすごい人、揺られながら吊り橋を渡る。本谷橋を過ぎるといよいよ坂道になる。石段がよく整備され歩きやすい。一歩一歩高度を稼ごうとするが、どんどん抜かれていく。脈拍を測ると120を打っていた。暑くなってきたので着込んでいた上着を脱いだ。ヒートテックのズボン下も脱ぎたいが、人が途切れることがない。用を足したくなった場合でもこの山では次の山小屋まで我慢をしなければならない程、登山者が途切れなく行きかう。

屏風岩を回り込み、20分ほど歩くと川音が遠くになった。狭い場所では下山者とのすれ違いに時間がとられる。涸沢が近づいてきたが、紅葉はやや見頃を過ぎ、葉を落としてしまった木も見られる。楽しみにしていたナナカナドの紅葉は10月初めの雪とここ何日かの霜にやられたそうで、無残なこげ茶色だった。チングルマの綿毛は飛び去り、軸だけになっていた。
分岐を過ぎるとヒュッテの鯉のぼりが見えた。最後の坂道を登る。

13:30
やっとヒュッテに到着。横尾から3時間、休憩が多かったり、何枚も写真を撮ったりしていた割には早く着くことができた。新館にある受付で宿泊費10,000円(昼弁当1,000円を含む)を払い、部屋に入る。別館のグリンデルワルドという部屋が今日の寝床。布団4枚分の広さ。荷物を置き、カールが見渡せるテラスに急ぐ。まずは一気に缶ビール(500ミリリットル700円)を空けた。この登山のため痛風が出ないように10日間、飲むのを我慢していたが、もういいだろうと解禁。その後は念願の涸沢カール、北穂、奥穂を撮りまくる。一息ついてまた生ビール(800円)、正に至福の時。ここのテラスはちょっとしたカフェテラスで、おでんからラーメン、焼酎、熱燗まである。テント泊や涸沢小屋の人もここに来て、ビールを飲みながら日本一の眺望を楽しんでいる。京都から夜行バスで来たという男性二人と隣どうしとなり、ウイスキーをごちそうになった。京都の桜は洛北の「原谷」がいいそうだ。部屋に戻ると同宿者が4人になっていた。結局、その後も増え、最終的には8人になり、布団1枚に頭を反対にして2人で寝ることになった。ただ8人全員が男性なので、3年前の海の日、白馬山荘で両側が女性のため身動きできずほとんど眠れなかったことを思えばありがたい。(しかし、やはり寝返りにも気をつかい、ほとんど眠ることができなかった。)
17:00
夕食は食堂で。人が多いので20分前から並んで待つ。メニューは山小屋としてはまずまず。いいのはごはんとみそ汁がお代わりできること。トイレもきれいで、消灯後も何か所か明かりがついているため、懐中電灯がなくても歩くことができた。屏風岩の上の十五夜の月が傘をかぶっており、明日の天気が心配。

10月11日(奥穂山頂→涸沢岳→槍見台)

03:00
早出の人が出発し、4時30分には電気が付いた。
05:00
朝食。長野の10月上旬の日の出時刻は5時30分ということなので、朝食もそこそこにしてカメラを持ち、テラスへ急ぐ。涸沢小屋は明々と電気がついており、北穂の稜線には動くランプの明かりが見える。だんだん東側の屏風の頭が明るさを増してきた。三脚をセットし、日の出やカールが赤く染まる瞬間を待つ。テラスは三脚でいっぱいになった。しかし、この日は東の空がガスったようにぼやっとしていて、1時間粘ったもののカールに朝日は当たらなかった。
06:30
おかげで予定時間を30分遅れて出発。テントサイトを横切り、パノラマコースを登る。ここは快適な石段の道。穂高が人気ナンバーワンであるのもうなづける。重機なしに見事に大きな石の階段が組まれている。
07:15
見晴岩。涸沢岳、涸沢槍の稜線がはっきり見えてきた。
08:00
ザイデングラードの取付きで休憩。ここからは常念、前穂、北穂の展望が素晴らしい。ザイデンの坂道は霜柱と圧雪のため滑りやすく、注意しながら登る。左手のあづき沢の向こうには奥穂、右手には涸沢岳、涸沢槍、シャッターチャンスの連続。
09:30
どんどん抜かれてやっと穂高岳山荘到着。トイレだけ済ませ、すぐ奥穂のピークを目指す。20分ほど登ると槍の先が見えてきた。風が強く、手袋なしでは冷たい。途中、鎖場、はしご場があり、下を見ないで登る。穂高岳山荘から40分で奥穂高山頂到着。360度の展望に感動!西穂へのジャンダルムは左半分がガスに覆われ、人を寄せ付けないような威圧感がある。社の前で写真を撮ってもらった後、軽い食事。ふもとから持ってきた菓子パンの袋が気圧の関係でパンパンに膨れていた。あん入りカステラが旨かった。

10:40
下山開始。登りの人は少なく、鎖場、はしご場の待ち時間もなく、30分で穂高岳山荘まで下ることができた。山荘に戻ると従業員の人が「ヘリが降りるので小屋の中に入って下さい。」と言う。聞けば山小屋を閉める準備中で、荷物をヘリで新穂高までに下ろすそうだ。涸沢岳上空に現れたヘリは一気に舞い降りてきて、荷物を積み込むと、すぐ飛び立った。
11:15
山荘を後にして涸沢岳、北穂に向かう。涸沢岳山頂までは岩場の坂道。
12:00
涸沢岳山頂到着。先客は男性一人だけ。槍ヶ岳が真正面に見えるが、山頂北側は険しい絶壁。近寄ると足がすくむ。北穂への稜線は下から見ていたのとは大違いで険しく、縦走者の姿はほとんど見られなかった。不覚にもここで怖気づいてしまった。北穂までは2時間余りだが、少しガスってきたこともあり、自信がなくなり、縦走を断念し、ヒュッテに引き返ことにした。気落ちして下山しかけたところ、雀友のHさんから「最近、連絡ないで。今、何しよん?」との電話。3,000mの高度でも携帯のつながるエリアがあった。続いてIさんからも「パンを焼いて家に持ってきたけど留守のようだし、どうしましょう?」と電話があり、二人の声に元気を取り戻し下山した。
14:30
ヒュッテに戻った。こんなことになるならヒュッテに重いザックを置いて登ればよかった。ザックにはカメラの機材と2本のペットボトルが入り、ずっしりと重い。この山はどこでも水が手に入り、この季節なら1本あれば十分、しんどいだけだった。ヒュッテの従業員の人の話では今日は昨日以上に人が多いということなので、ここでもう1泊し眠れない夜を過ごすより、横尾まで下ることにした。横尾山荘到着は17時頃になりそうなので、休憩も取らず、一気に下山した。この時間、下る人は少ないが登る人は結構多い。
16:00
本谷橋付近でもまだ登って来る人がいた。明るいうちの涸沢到着は無理だろう。
16:40
横尾山荘到着。なんとか日暮れまでには宿に着くことができ、ほっとした。宿泊費は9,500円と高いが、風呂付き。風呂は5人程が入れる大きさだが、洗い場も付いていた。3日ぶりの風呂は何よりのごちそうだった。食事は予想に反してちょっとしたレストラン並み、何を食べても旨かった。フロントの若い女性従業員は明るい笑顔で受け答えもよく好印象。建物は新しく、二階は2段ベットの8人部屋が並んでいた。私は飛び込みだったので30人分ほどの布団が敷かれた大部屋に案内された。連休には廊下まで布団が敷かれたそうだが、この日は大部屋の宿泊者は10人ほどだったため、広々と寝ることができた。今日こそぐっすり眠れるだろうと思っていたが、疲れ過ぎていてなかなか眠れなかった。6時30分から16時40分、ほとんど歩きどおしの行程だったが、ヒュッテから横尾までの急いだ2時間がこたえたようだった。
次の日の12日は素晴らしい秋晴れだったため、このまま帰るのはもったいない気がして、蝶ケ岳へ向かう槍見台まで登り、最後の写真を撮った。来年は槍へ!